自己紹介

この文章を書いている2019年現在、私は38歳です。そして、バスケットボールの指導者としての人生が22歳からスタートし、16年が経ちました。今回はその日々を感謝の気持ちと共に振り返ってみたいと思います。

【私とバスケットボール】

私は安田学園高校に入学し、金子久男先生、岡村智先生の影響を強く受け、教員となることを目指しました。卒業後は早稲田大学へと進み、スポーツ科学を専攻しながらバスケットボール部として4年間を過ごし、その後大学院に進むとともに早稲田実業学校に非常勤講師として採用してもらえたことが教員としてのスタートです。

バスケットボールを私が始めたのは父の影響です。父は自分自身が学生時代にバスケットボールをしていました。そして私がバスケを始めたのは小学校5年生。マンガの「スラムダンク」が人気連載中で、翌年(1992年)にはバルセロナ五輪があり、アメリカの「ドリームチーム」が一世を風靡した時代です。マジック・ジョンソンやマイケル・ジョーダンのプレイで日本でもバスケ人気が高まった時代でした。そして私もバスケットボールに没頭するようになったのです。

小中を地元の公立校で過ごした私は、高校でバスケをするなら「全国レベルのチームに入ってみたい!」という一心で高校を選びました。毎年、年末に行われるウインターカップという全国大会を父と見に行っていて、高校バスケは私の憧れだったからです。家との距離や学校の雰囲気を見て、私は安田学園を選びました。安田は私が入学する2年前に実際に全国大会に出ていたチームだったからです。

結論から言うと、私は安田で全国大会に出ることができませんでした。しかし後悔はしていません。それ以上に「指導者を目指す」という宝物を安田で得ることになったからです。転機は高校2年です。当時の安田バスケ部は部員が60名ほどいて、レギュラーになるのが大変な時代でした。

特別優れた運動能力もない私は、試合に1度も出ることなく2年生になっていました。そんな時、上級生が引退して自分たちの新チームに代替わりした時、キャプテンとマネージャーを決めることになったのです。

キャプテンは入学してからすぐに試合に出ていたメンバーがいたので、すぐに決まりました。しかし、マネージャーは決まりません。マネージャーを引き受けるということは選手としての活動をあきらめることを意味するからです。

私は迷いましたが「このまま続けても試合にたくさん出られるとは思えない。だったらマネージャーになった方がやりがいを感じられるかも」と直感的に考えて手を上げました。この決断は後になって人生最良の決断の1つでした。

当時の安田バスケ部のマネージャーは「先生の分身」という教えをされていました。職員会議などで不在の時は先生の代わりに練習を指導する。審判やテーピングもする。部費の管理やスコア集計、予定の作成など何でもやりました。

立場上の権限だけではなく、自分がしっかりしていないと誰も私の言うことを聞いてくれません。そうなればチームは崩壊ですから、日常生活から見直して、できる限りのことはやりました。部員の悩みと先生の間に入るパイプ役のような立場でもありました。

当然ながら先生たちと私が接する時間は格段に増えて、厳しい指導もありましたが、私は金子先生、岡村先生が大好きになりました。昼休みのたびに金子先生に呼び出され、先生の昔話を聞かせてもらったことは良い思い出です。

そんな日々を過ごすうちに「自分も教員になってバスケットボールの先生をやりたい」と強く思うようになりました。部活を引退した後、大学をいくつか見学に行き、雰囲気が良く、スポーツを学問的に学べる早稲田大学に決めました。試験が狭き門でしたが、そこは今までバスケット部で鍛えた行動力で乗り切り、勉強を続けた結果、たまたま現役合格できました。私と早稲田は縁があったのだと思います。

早稲田に入学した私は、バスケット部にも入部。マネージャーではなく、まずはプレイヤーとしてもう一度がんばってみようと思い入部しました。そこで驚いたのは「上手いとか下手とか関係なく、全員が一緒に練習をしている」ということです。

当時の早稲田はスポーツ推薦で全国優勝のキャプテンをしていた選手もいれば、附属校から来た人もいる。私のような一般受験の選手もいれば、浪人して入学した人もいます。バスケの技量だけ見れば、それぞれかなりの差です。

でも、それがお互いを尊重して一緒にやっているのです。「おれはお前みたいに高校で全国制覇してないから」、「いやいや、お前は一般受験で入ってきたんだろう。たしかに俺は高校バスケで日本一になったかもしれないけど、勉強の努力で結果を出したお前を尊敬しているよ」という具合に、お互いの良いところを見て、尊重しあう雰囲気が早稲田にはありました。雰囲気は最高でした。

実は高校時代、私はひとつだけ嫌だったことがあります。それは昔の安田バスケ部の「バスケの技量だけで区別する文化」です。例えば、60人のうち、先生に練習を指導してもらえて、5対5の練習に参加できるのは15名程度のAチーム。それ以外の上級生15名はBチームで、反対コートで練習する。メインの5対5が始まったら見ているだけ。基本的にAチームとBチームの入れ替えはありません。

そしてBにも入れない30名はCチームと呼ばれて、体育館にも入れずに走ったり筋トレしたり、時々校庭でボールを触るくらいで練習おしまいなのです。上下関係も先輩後輩というより、「どこのチームにいるか?」で決まりました。例えば、Aチームの1年生が散らかしたゴミをBチームの2年生が拾って掃除する、というようなこともありました。

当時は人数も多かったので仕方ないところもあったと思います。でもこの仕組みはAの生徒だけが満足するもので、BとCは先生に名前も覚えてもらえずに3年間終わる仕組みでした。当然たくさんの部員が辞めていきます。

それに比べて、早稲田の雰囲気は「みんながお互いに尊重」です。両極端を体験した私は「指導者としては絶対に早稲田のような雰囲気のチームを作ろう」と決めました。バスケット部に入った生徒は、バスケットが好きでやりたいのです。バスケットをたくさんできるように環境を整えて、部員全員を大切にするという私のスタンスはここで生まれました。

早稲田ではたくさんの監督、コーチ、OBの方々にお世話になりました。その中でも東野智弥さん(現日本バスケットボール協会技術委員長)と、倉石平さん(元全日本男子監督)には強い影響を受けました。特に倉石さんは卒業論文、修士論文の指導もして頂き、私が4年生の時にはコーチとしてチームを全国大会第3位まで導いてくれました。倉石さんのおかげで、私は早稲田のバスケ部でやり残したことは何もないと言い切れるほど充実した日々を送ることができました。

ちなみに、早稲田では2年生の時からマネージャーを引き受けました。1年間選手として良い経験ができましたし、その後チームに貢献するために自ら志願したのです。もちろん、この経験が指導者としての自分に生きていることは言うまでもありません。

【指導者スタート】

大学を卒業した私は、引き続き倉石さんから学ぶためにそのまま大学院に進学しました。それと同時に早稲田実業学校で非常勤講師として採用して頂いたのです。これが教員人生のスタート、22歳の時でした。

大学時代にバスケットボールに没頭した私は専門家としての自負があり、「自分が教えれば高校生なんて簡単に強くできるさ」と軽く思っていました。そして実際に、1年目で東京都優勝しウインターカップに出場、2年目には関東大会で優勝するという好成績を収めたのです。

しかし、今にして思えば早稲田実業はもともと強いチームで、監督の戸坂先生(早稲田の先輩でもあり、学生時代から私をかわいがってくれた第二の恩師です)が作ったチームが強かっただけで、私は特に何をしたわけでもありませんでした。新しいコーチが来たという新鮮さで少し生徒をやる気にさせたくらい。今にして思えば生徒を上達させることはできなかったと思います。ただ当時の私は、恥ずかしいことですが、自分が強くした気がして調子に乗っていました。

そんな中、安田学園の恩師・岡村先生から連絡を頂いて「将来的にバスケを教える気があるなら、安田に戻って来い」と声をかけてくださったのです。母校の安田に愛着があった私はすぐに「行きます」と返事をしました。大学院修了と同時に2年間で早稲田実業を退職、そこから安田学園に勤務することになりました。

【安田での試行錯誤】

前述のように、中学生だった頃の私が安田に入学を決めたのは、安田のバスケが全国レベルだったからです。しかし、それから時は流れて、金子先生の退職を境に、少しずつ安田は勝てなくなっていました。全国大会はもちろん、関東大会からも遠ざかり、東京都の予選では1・2回戦で負けることも増えてきたような時代に、私は安田学園に奉職したのです。

早実時代の過信があった私は「安田を早実くらいまで強くするのなんて簡単さ」とばかりに思っていました。しかし実際、指導をはじめてみると、まったくと言って良いほどうまくいきません。選手の能力や経験が違うので、私が教えていることが伝わらないのです。

次第に「俺の言うことを聞け!」というようになり「負けるのはお前たちが言われた通りにやらないからだ」と思うようになりました。指導者がこんなことでは、選手との信頼関係が築けるわけがありません。ただ、当時の私はそんなことすらも良くわかないほど未熟だったのです。

 

【ヘッドコーチとしての自立】

私は安田で2年間非常勤講師を務めて、3年目からは専任教諭として採用してもらいました。それを節目として、恩師である岡村先生からヘッドコーチの座を引き継がせてもらい、私は指導者として本当の意味で独り立ちをする必要がありました。

この頃には岡村先生や、定年後も時々アドバイスに来てくれた金子先生にいろいろ教わり、選手との信頼関係が一番大事だということにも気づけたと思います。また、今も共にチーム作りを切磋琢磨している中学ヘッドコーチの及川先生にもたくさん相談をさせてもらいました。及川先生には今も頼ってばかりです。いろいろな先生から謙虚に学ぶことで、少しずつ自分の考えも柔軟にすることができました。

なぜ部員のみんなは今日も体育館にやって来るのか?それは当然、バスケットボールが好きだからです。そもそも、私もバスケットボールが好きで、その魅力に取りつかれて指導者になったわけです。プレイがどうだとか、下手なのはお前が悪いとか、そんな小さいことを言うのではなく「生徒にバスケットボールをもっと好きにさせる」という自分の自覚が強まったのはこの頃です。

好きで始めたバスケットを、今日もやろうと思って体育館に来ている。こう考えると生徒のことがかわいくて仕方がない、そんな存在に見えてきました。数ある中から「安田学園でバスケをする」という道を選んで出会った子たちに「入学時より10倍バスケを好きにさせる」という目標を自分の中で立てました。それは早稲田で体験したような、良い雰囲気のチーム作りにもつながり、チームも少しずつ強くなっていきました。

私が教えたいことは「バスケットボールの楽しさだ」という軸ができたその日が、私が指導者として自立できた日かもしれません。それはいつまでも大切にしたいと心に決めています。卒業生に「三原先生と一緒にやったバスケは本当に楽しかったですよ」と言ってもらえることは、この上ない喜びです。

【バスケはバスケでしかうまくならない】

私は練習で、ゲーム形式の対人練習を大切にしています。答えは簡単で、生徒はみんなゲームが好きだからです。必要だからとボールを持たずに走り込みばかりしたり、良くわからないのに指導者が凝っているだけの練習ばかりさせたりすれば、バスケットが面白くなくなります。分解練習や体力トレーニングはもちろん必要ですが、すべては試合のためという前提は忘れないようにしています。

そして、試合期はどうしてもレギュラーメンバーが固まりがちですが、チームの活性化を目的にして、できるかぎり全員が均等に参加できる練習を心がけています。「日本人はテクニックはあるが、サッカーが下手だ」。これはある指導書で読んだ言葉です。つまり分解練習ばかりしていて、型は良いけれども実戦になると状況判断や対応力に欠ける、という意味です。たしかにその通りで、バスケでも同じことが言えると思います。

練習は対人をメインにして、不足を自分が感じれば分解練習やトレーニングを行う。週末に練習試合をして、できたことやできなかったことをまた次の日の練習で改善する。ただやみくもに練習を積むのではなく「バスケはバスケでしかうまくならない」という考え方のもと、「ゲーム→練習→ゲーム」というサイクルでチームを強化しています。

【パスアンドラン 2対1のオフェンス】

卒業生に「安田のバスケでどんな練習が思い出に残っている?」と聞くと、大体の生徒は口をそろえて「そりゃドリブルなしの5対5ですよ」と答えます。私はドリブルなしの対人練習が大切だと思って、ほとんど毎日欠かさずにやっているのです。

安田に来て最初に思ったことは、正直に言って運動能力の低さでした。バスケットボールは5人対5人のスポーツですが、それを「1対1が5セットある」という考え方で行えば、当然能力の高い方が勝ちます。背が高かったり、力が強かったりする方の勝ちです。それでは、ほとんど点が取れません。

そこで試行錯誤した結果「誰が入れても2点は2点、ノーマークの人がシュートすればいい。それならば相手が追い付かないくらいどんどんパスを回して走れば良い」、そう考えるようになりました。簡単に言うと、1対1ではなく2対1をどんどん作っていくバスケットです。この考え方が浸透すると、東京のどのチームとも戦えるようになりました。最高身長が178センチのチームでも、都でベスト16に入ったチームもあります。

2対1を作るために、どんどんパスを回して走る。そのパスアンドランの習慣を作るためにドリブルなしのゲームをします。どう動けば、どこにスペースが生まれるのか。できたノーマークのスペースを攻める。必然的にオフボール(ボールを持たない選手)が質を高める必要があるので、考える習慣も身につきます。

また、ガードだとかセンターだとかのポジションにはあまりこだわりません。どうせ背の小さい選手が多いのならば、全員がリングに正対する攻めも、リングに背を向ける攻めもできるようにしてしまえ。という考え方で、オールラウンドな選手育成を目指しています。人もボールも動くバスケットでディフェンスを抜けた喜び、ノーマークでシュートできる楽しさ。これは最高に面白いバスケットだと思っています。

【常に攻撃的に 1対2のディフェンス】

ディフェンスもこの考え方の逆で「1対1で守れなければ、1対2にしてしまえ」と教えています。マンツーマンでも、チャンスがあればダブルチームに行く。手薄なゴール下は全員で寄る。精神的に優位な時間帯はオールコートプレスを仕掛ける。こういったことをいつでも狙わせています。

小さいチームは常にリバウンドやルーズボールが課題ですが、それも人数でカバーです。1人目が叩きだして2人目が拾うとか、とにかく頭を使うことを求めます。

私は「ディフェンスは守りではない、攻めだ」と教えています。「常に攻撃的であれ」というのがバスケにおける私のモットーで、オフェンスもディフェンスも自分から攻める気持ちでプレイした方が楽しいですし、試合にも勝てると思うからです。

この「2対1のオフェンス」、「1対2のディフェンス」は、能力に劣る日本代表が世界の国々に勝つための考え方に似ています。常に最新のバスケットを勉強し続けて、生徒たちにより楽しい、攻撃的なバスケットを今日も教えたい、とワクワクする毎日です。

【即断・即決・即行動】

バスケットボールは野球のように攻守の交替がはっきりしていません。またバレーボールのようにネットで区切られてもいません。「人が混ざるスポーツ」、「切り替えのスポーツ」というのがバスケットボールの特徴です。

具体的には「①トランジションディフェンス、②セットディフェンス、③トランジションオフェンス、④セットオフェンス」という4つの局面がぐるぐると絶え間なく流れるのがバスケットボールの試合です。そして、ボールは1つで、それを中心に人が広がったり、固まったりをくり返すのです。状況は絶えず変わります。考えている暇などありません。

だからこそ、大事なことは「決断力と行動力」だと思っています。危ないところを見つけたら助ける。ボールがもらえそうなところを見つけたら走りこむ。どうしようかな?などと考えている暇はありません。すべてに即断・即決・即行動が求められるのです。

私はバスケットボールを通じて「みんなには行動力のある人間になってほしいんだよ」と常々言っています。即断・即決・即行動が必要なバスケットボールを人生でも生かしてほしいのです。人間の行動には無駄なことなど何もありません。すべては良い経験になります。それであれば唯一の無駄は「迷っている時間」なのです。

それよりも、良いと思ったことはすぐにやってみる。失敗にしても成功にしても、それから学んで、次の行動に移す。こういう人が、自分の人生を切り開けるのではないでしょうか。世の中には様々な性格の人がいますが、成功者に共通の性格というのはありません。ただ1つ共通点があるとすれば、それは「決断力がある」ということだと思います。このことを私は出会った生徒に伝えたいのです。

【習慣の力 1日1%で複利の魔法を】

絶え間なく状況の変わるバスケットボールでは、考えている暇がないのでプレイには「日頃の習慣」がそのまま出るのが特徴です。バスケットボールを「ハビットゲーム(習慣ゲーム)」と呼ぶ人もいるほどです。習慣というのは毎日の積み重ねで、たとえば歯磨きのように考えなくてもできるような状態を意味します。

ただここで大事なのは「習慣の質」です。歯磨きは習慣化されているので、みんな毎日やっていると思いますが、上達している人はいないでしょう。なぜなら、同じことを毎日しているからです。数字にすると「1×1×1×1・・・・=1」ということで、100%を毎日掛け算しても、いつまでたっても1のままなのです。

そうではなくて、毎日「101%」を掛け算したらどうなるでしょう?ごくごく小さいことでも構わないから、昨日よりも1%だけ、何かを工夫改善してみる。例えば靴ひもの結び方に少しこだわってみた、声を少しだけ大きく出してみた、ということです。そんな小さな1%でも続けてみるとどうなるでしょうか?「1・01×1・01×1・01×1・01×・・・・」を続けるとします。最初の30日はあまり変わらず「1.3」です。でも100日目に「2.7」となり、180日目に「6.0」、365日で「37.8」にまで飛躍します。このように小さな蓄積の掛け算が時間と共に飛躍することを「複利」といいます。

成長するにはこの「複利がはたらいているかどうか」だけは絶対に外してはいけません。1のくり返しは何回かけても1のままです。そうではなく1.01を掛け算することを習慣にするのです。「昨日は今日の最低限」、「1日1%の工夫と改善」、それが時間と共に複利で成長するのです。「なぜあの子があんなにうまくなったんだ?」、「どうしてあの子は急に勉強ができるようになったんだ?」時々子供たちの成長には魔法がかかったかのように急激に伸びる子がいます。その子たちは特別なことをしたのではなく、蓄積により複利がはたらいただけなのです。私はこの複利の魔法を信じています。

 

おわりに

愛媛県に新田高校という学校があります。その学校は県下屈指の文武両道校で知られていて、男子バスケットボール部も全国大会に50回以上出場している名門です。雰囲気が良く、自主性を重んじて、チームプレイを大切にする新田のバスケットボールは私の理想像に近いと感じていて、「一度ぜひ合同合宿をお願いします」と新田高校の玉井先生にお願いしました。

新田は毎年ウインターカップに出場する際、両国に宿泊して、安田学園で練習をしていくという関係が10年近く続いているので、玉井先生は私のお願いを快く引き受けてくださいました。2019年8月5日から7日までの合宿をさせてもらい、バスケットの技術面も大変勉強になったのですが、私が最も心に残っているのは、玉井先生の次の言葉でした。

「私はね、新田のバスケットがやっていても、見ていても、教えていても、世界一面白いバスケットだと本気で思っているんですよ」。こう言い切れる玉井先生に深く感動し、私も安田のバスケットを「世界一面白いバスケット」と言い切れるように毎日がんばろうと思っています。

東京オリンピックを控えた今、バスケ人気は高まりつつあります。これからも安田でバスケがしたいという生徒がいる限り、健康に留意してできる限り指導者を続けたいです。今まで関わったすべての方々、歴代の生徒たち、そしてバスケット中心の生活を支えてくれた家族に感謝して、この文章の終わりにしたいと思います。ありがとうございました。

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